大学におけるキャリア教育
大学のキャリアの授業を担当するようになり、7年目になります。キャリアコンサルタントの資格を取得したいと思った大きな理由が学生支援をしたかったから。資格取得後、ご縁があり埼玉の大学でアシスタント講師をさせていただいたのが最初でした。始めた当初は一クラス200名を超える学生にあたふたを繰り返し、数年たった今もイレギュラーの対応に悶々とすることが多いです。

キャリア教育に携わるとは、大人の世界を反映している子供を見ること
「キャリア教育」という言葉が使われるようになり久しいですが、この7年で大きく変わったことはありません。学生さんは7年前から自信がない方が多く、やりたいことが見えない、いえ「見ようとしない」「見たくない」と感じているように見えます。「就職しても良いことはないから今のうちに遊ぶ」「特にやりたいこともないので、適当な仕事ができればいい」との発言を何度聞いたかわかりません。そのたびに大人である私たちの在り方が子供たちに影を落としていることに愕然とさせられてきました。キャリア教育に携わる=大人の世界を反映している子供を見ることでもあると、この世界に入り痛感したのです。
では、私のしていることは無意味か?と問われたらNOと胸を張って言いたい。私の担当しているキャリアの授業は前期15回、後期15回、年間30回ほぼ同じ学生と触れることができます。一年を通して彼らの変化・成長が見える仕事といっても良いでしょう。
自分の過去と向き合うことにおびえている学生さんも沢山います。しかし仲間から自分へのリフレーミングワーク(ポジティブに物事をとらえなおし、言語化すること)を通じて自分を再認識できたり、「やってみよう、やらないと始まらない」と新たな行動を示してくれる学生さんもいるのです。勿論動くことができず、もがいている学生さんがいることも忘れてはいません。

キャリアとは人生すべてのこと
学生さんには「就職のためにキャリアの授業があるんだろ?」と言われることもあります。しかし就職は通過点であり、どう生きていくか長い視野で人生を考えてもらえるようにすることがキャリア教育だと私は考えています。動くことができず、もがいている学生さんには「今すぐに動けなくてもよい。でも動くから見えることもある、できないことを今知っておくことで自分の生きる基準がわかる」とメッセージを送り続けます。学生さんの感じ方、受け取り方も様々ですが、理解力のある一部の学生さんだけにメッセージを送るのではなく、全員に響くような言い方をいくつか用意しながら授業には臨むようにしています。
7年、多様なプログラムを担当してきました。その中には就活の講座もありますが、就活がテーマであっても、その人の自己理解を深め、生きることを考えられるよう工夫してきたつもりです。大学の授業では100人を超える大所帯のクラスを運営する力も求められます。多様な個性をグループワーク中心に動かす難しさと面白さがあります。

「グレーの部分」を楽しむ
正解は何なんですか?との声もよく聞きますが、当たり前ですが生き方に絶対的な正解はありません。授業の中でグループワークや全体共有を繰り返すことで、こんな考え方もあるのだ、こんなやり方もありだと引き出しを広げてもらえるような授業であることが求められます。よって一般的な正解を示す講師とは違って「グレーを許す」寛容さが必要なのです。それを楽しめるかどうかが、キャリア教育の講師をする条件なのではないかと思います。
いまだに(コンディションによっては)そのグレーの部分を楽しめないこともありますが、毎回の授業の中で私や一般的な大人にはない多くの視点を見せてもらえるチャンスではないかと思うとワクワクします。
自分の人生は自分のもの 自分で動いて道を作る
現在は大学でのキャリアの授業をメインに担当していますが、ゆくゆくは、より低学年のキャリアに関する授業やセミナーなども増やしていき、幼いころから自分の生き方を自分で考え・決める、一人ひとりが生き方に責任を持つ社会にできるよう尽力していきたいと思っています。多様な学生さんがいる中で特にコミュニケーションの難しさも感じていますが、私が大切にしている「自分の人生は自分のもの。自分で動いて道を作る」を自ら見せていけるよう、これからも進んでいきます。